糸掛曼荼羅を作ってて思う

現在作成中の糸掛曼荼羅は既に糸を600m以上使用し
もう少しで完成できるかといった段階に来てます

そして思うのです

この世は糸掛曼荼羅に似ている

この写真を見てみると何が何だかわかりません

私たち一人ひとりは目の前の出来事に対して偶然か必然かを考えます
全部偶然だよっていうのは簡単ですが、偶然にしては出来過ぎているという事もあります
けど、すべて必然かと言われるとそれも疑う程に良い事も悪い事も起こります
悪い出来事に対して必然だなんて言ってほしくないって事もあります
正直みんな混乱しています
なんでこんな事が起こるんだろう、なんでこの人と出会ったのだろう、なんで自分はここにいるんだろう

わからない事だらけです

ですが、次の写真を見てみます

全体を見てみると不思議な統一されている模様が見えます
これは偶然できたものでしょうか?
明らかに意図されてできているのがわかります

小さな視点で見れば混沌としているものが
大きな視点で見れば整合性がとれているんです

そして、この糸はたった一本の長い糸をひたすら張り巡らせているだけなんです
途中で切れていないし、別の何かが介入しているわけでもない、別のところへ寄り道しているわけでもなく、ただひたすらあっちへ行ったりこっちへ来たり
古い糸はその存在を微かに残しながら全体の一部に溶け込み、新しい糸はその上を交差するように、時にはなぞるかのように進みますが、全く同じ道はありません
古いものの上にどんどん積み重なり、時には一階層下がってみたり、徐々に上昇して完成を目指します
遠回りしているようにも見えますし、でもその道を通らないと統一されたものが出来ません

もう一度寄ってみましょう

一本の糸は色んな縁と交差しています、すべては一つの目的の為なのですが、
進んでいる時はわかりません、次にどんな縁がくるのか、どこへ向かっているのか
それは最後にようやくわかる事で、きっと生きているうちはわからないんでしょうね

そして長い時間をかけてようやく戻ってきたと思ったら
そこで最初の糸に結び付けられ糸は繰り返し同じ道をたどります
すべての糸はつながっているんですね

一つの人生もこの糸掛曼荼羅と同じ様な感じで、
その人生すらもより大きな糸掛曼荼羅の一部になっているかもしれません

私たちはものすごく果てしない道の途中にいるのかもしれません
でも、わからなくてもいいと思います
わからないながらも一生懸命に生きて
一生懸命に自分という個性を楽しんで、時に悲しんで、苦悩して、死んでいけばいい
だって、それら一つ一つがこの統合された全体像を作っているのだから
何かが欠けちゃいけないんだと思います
そしていつか、それもいつかはわからないけど
いつか気づいたらその全体像の美しさに感動して
解脱していったらいいのかなって思います

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