病気になる過程

人が病気になる過程はこんな感じじゃないかなって思います

1.心の使い方に歪みが出ると身体はストレスを感じる
2.ストレスに応じて活性酸素が増加し、細胞、DNAを損傷、エネルギー低下
3.細胞、DNA損傷、エネルギー低下によりアンバランスが生じる
4.アンバランスになると病気あるいは不調が生まれる

それぞれの段階での対処法

1.心の使い方を正せば病気にならない、または治る(言葉づかい、心使い)
2.増えすぎた活性酸素を除去する事で病気や不調の発症を防げる(食生活、生活環境)
3.歪みを整える事あるいは流れを整える事でバランスの改善(マッサージ等の各種療法)
4.現代医学で対処(西洋医学)

私たちセラピストはこの中でいう3の位置を調整する役割がありますが、
マッサージやセラピーだけでは根治は難しいと感じる為

その上の段階である1,2に対するアドバイスも行うことがあります
1が正しくなれば不調は消え去り、2のケアがしっかり出来ていれば不調は発症しないので
そこがしっかり出来ていれば3以下は不要というわけです

リラクゼーションという意味ではこの業界は2に入り込む事もあります
ですが、よくよく考えてみるとこの1,2って自分で出来るケアなんです
自分の生き方次第では病気になりにくいと考える事ができます

まぁ、そういうと
「なんだ、俺の生き方が悪いっていうんか!」
となっちゃいそうですが、

悪いとか悪くないとかじゃないにしても、そうやって反発が生まれてしまうのも素直さという力が養われていないからかもしれません

人間素直に楽しく低い心で生きるのが一番いいのかもしれないですね

3,4になってくると人にお願いする形になってきます
自分だけではどうこうするのが難しくなってくるんですね
出来れば1,2の段階でどうにか改善をしていけたらいいと思います

ですが心配しなくても、例え4の段階でも1,2の改善があれば不思議と良くなる事もあります
歪みを継続し続けない事、身体だけじゃなく心の歪みも変えてあげれば
刺激の元は絶たれるので改善に向かいます

病気って不思議ですね
人の身体って不思議です

後は、それ以外にカルマっていう考え方もありますが、これはまた別の機会にしますね

抑圧も必要な時がある?

先日久しぶりに尾崎豊の「卒業」を聴きました

ほんとに久しぶり過ぎていろいろ回想してみたりとありましたが
少し気になったことが
サビの部分で出てくる

この支配からの卒業
戦いからの卒業

確かに、さんざん苦しい環境、自分に合わない環境にいて
たまりたまった鬱憤や欲求
それが解放された時
人は大きく羽を広げる事が出来るのかもしれません

喜びに似た感情と共に自分がやりたかった事へ突き進んでいける
それが日本の成長を手伝ったと、そんな風に感じました

最近の馴れ合いに似たゆるい感じや、機嫌を伺われて育つ環境だと
抑圧された鬱憤が少ない為
自分の本当に求める願望が湧きおこらないかもしれない
そんな状態でその環境から解放された所で

だから何?

やりたい事?わからない

と宙に浮いた状態になってしまうのではないだろうか
いき過ぎてはいけないけれど人生にはスパイスが必要で、

現代は砂糖ばかりになっているのではないかと感じました

さすが尾崎先生、後世に残る歌は色あせず
ずっとその強い想いが残り続けています

きっと彼は当時のこの状況はダメだ!!と言いたかったのかもしれないし
その当時のファンたちもそうだそうだ!!と共感して大人たちに逆らい
時代を変えようと戦ってきたんだと思います

ただ、今そのファンたちは、俺の時代はもっと厳しかったと言って、結局その時代を肯定している気がします

実際どっちがいいのかわからない

わからないけど、どっちもいき過ぎなんだろなって思います
だから多分近いうちにまた厳しい時代がやってきて、
そしてまた甘い時代がやってきてを繰り返し、
それは振り子の様に少しずつ少しずつそのふり幅を小さく狭めていって
いつかきっとちょうどいい時代がくるんだろうなって思います

その時代はきっと適度な緊張と緩和によってとっても豊になっているんじゃないかな

尾崎 豊 → お先 豊(@_@;)

豊になれば子供も増え、人口の問題も収まるかもしれないですね
そんな時代が少しでも早く訪れるといいなと願います

自分の居場所

先日お客様とお話ししていて心に残った言葉がありました
それが

「魚は水の中にいる時が一番美しい」

何のことはない当たり前の事なのかもしれません
それがどうした?と言われるかもしれません

ですが、私の中ではこれがとても綺麗な響きで
その言葉をきっかけにグググーっと心の深くまで掘り下げられ
この言葉を頼りに掘り進めれば何かしら宝物が見つかる気がする
そんな風に感じました

お客様にとっての何気ない一言でしたが
私にとってはとても重要なヒントだったように感じました

私たちは私たちが住まうべき世界に住んでいるでしょうか?
魚に取って水の様な当たり前なのに、
その当たり前によって魅力が引き立てられ力を発揮できる場所
もしかしたら知らず知らずの内に水から飛び出してはいないだろうか?

あなたを取り巻く環境はあなたの魅力、実力を発揮できる環境でしょうか?
きっと人間にも言えること
自分にとっての水がどこなのか
その環境に入るだけで自然とあなたらしくなれる場所
みんなそれぞれに
そんな場所を見つけれたらいいのになってそう思います

自分の中の愚かな面

皆自分の中に変えられない自分がいて
それはきっと小さい時からずっと一緒に育ってきたものだから
切ってもなかなか切り離せない存在になってるんだと思います

私の中にはどういうわけか完璧主義ってのがいるんです
ほんとにどういうわけなのか^^;

全く完璧じゃない自覚があるのに、完璧である自分を求めてるんです
きっと、どこかに比較された記憶を持っているんでしょうね
あの人はこうだったから自分もそうじゃなきゃいけない
人の期待に応えないといけない
そんな強迫観念みたいなのがあって
自分はしっかりしなきゃいけない、頼られなきゃいけない
何でも知ってなきゃいけない
そんな勝手な思考が自分を攻撃してくるのです

昔に比べてずいぶん楽にはなりました
誰も自分なんかみていないし、誰も期待していない
期待に応えないといけないこともない
そんな風に考える自分も育ててるから

完璧主義者である自分と適当でいいよっていう自分が鬩ぎ合ってるんです
ほんとバカだよねって思います
くだらない事に囚われていて
でも、なかなか変われないのも人間です^^

そんな愚かな自分を認めて、まぁいっかって思っちゃえるのは成長したからだと思います

きっと自称完璧主義者っていっぱいいると思うんです
それで苦しんでいる人もいて
みんな思考を切り替えればいいって事はわかってて
人前でバカになっちゃえば楽だって事もわかってると思います
なんで最初にかっこつけてハードル上げちゃうんだろうって悩んでます

けど、いつもと違う自分をさらすのが怖いんです

急にどうしちゃったの?って思われるのが怖い
そんな人だった?って思われるのが怖い
結果自分を変えるのが怖い
嫌われるのが怖い

怖いからできないってなっちゃいます

でも、嫌われるのが怖いとか
自分を変えるのが怖いとかいうけど
思ってるほどそんなに好かれてないし
思ってるほどそんなに皆見てない

皆自分の事で精いっぱいだから

それに怖いのとやれないは別です
肝試しって遊びだってあります
怖いけど、挑戦してみる
怖いけど、ドキドキのスリルもある
怖いけど、その先に成功の喜びがある
恐怖を遊びに変えればちゃえばいいと思います

怖い時こそ挑戦したらいい
これは出来る出来ないじゃなくて挑戦なんです

結果はどっちでもいいけど

やる事が大事

何度でも挑戦して、何度でもバカな自分をさらけだして
何度も完璧じゃなきゃいけないという自分の中のもう一人の自分に抗ってみる
たとえ抗ったとしても誰も傷つかないから
一つ一つの小さな成功体験がきっとあなたを変えてくれます

ただ、一つだけ注意してください
あんまり抗い続け過ぎると
私の様に適当人間になってしまいます^^;

セラピストに必要なもの

良いセラピストに必要な要素があるんだけど
それはワクワクしてる事、日々何かしらに感動したり
楽しいなって思ったり、ポジティブなエネルギーを感じている事が大切です

セラピストの手からは氣が流れているのですが、
その氣を鍛える為にはワクワクや感動、心が喜んでいる状態を作る事がまず大切なんです

なので、普段なかなか楽しめていなかったり、やりたい様に出来ていなかったり
やりたくない事ばかりやらされていたりすれば、氣は弱ります
出てはいますが、良質の氣ではなくなってしまいます

なので、セラピストにとって大切なのは、まず心のゆとりであり、豊かな感性であり
自由な生き方です

セラピストを雇う人はまずもってそこを認めた上で雇わないと、質の悪いセラピストばかりになってしまうかもしれません

そしてセラピストはその事を忘れずに、自分の質を高めれるように生きてください
ただし、自由過ぎると生活に支障が出る場合もあるので、良い加減でやってください^^

神様って?

※こういう話嫌いな人は不快になるかもしれないので見ないでください

みんな色んな信仰があると思いますが、
私の信仰する神様ってやっぱり愛なんです

全てを愛し、愛そのもののエネルギーなんです
私たちは神様に愛されていて、それはもうどうしようもないくらいの愛で
どこに隠れてもどこに逃げてもひたすらに愛されてしまうんです

逃れられないんです

人間でいえば60兆個の細胞一つ一つまでが愛され、この世に存在するもの全てが途方もなく愛されています
どんなに悪い事をしても、どんなに後ろめたい事をしたとしても
その愛は変わりません、というか愛そのものなんです

でも、愛されているからといって全てが許されているわけでもありません
許しという言葉を使うと語弊がありますが、

悪い事をすれば罰は与えられます

愛されているから怒られないって、そんな事はないです
やった事に対しては対価が支払われます

悪い事をすれば悪い事が起こり、
良い事をすれば良い事が起こります
親が愛する子供を叱ったり褒めたりするようなイメージでもいいかもしれないですね
そして、私たちは幼児ではないので、愛は受けてもずっと手を引っ張ってもらってるわけではありません

あなたはあなたの好きなことをしなさいと、
それを見守ってくれているのが神様です

どうして神様は助けてくれないのか?

それはあなたが幼児ではないからです
一つ一つの事に手を差し伸べてしまえばあなたは自分で成長できなくなってしまいます

厳しくも感じますが、それはあなたの成長を願った神様の愛です
道に迷った時、不安になる時、辛い事があった時、あなたは助けを求めますが、
自分で解決しないといけません
神様はそれを見て手は出さないけど応援し、乗り越えたらあなたと一緒に喜びます

そして世の中には良いも悪いもありません
そういったエネルギーはありますが、良し悪しで判断はできず
ただの現象として存在しています

そのエネルギーに触れたときに人は良い事、悪い事と勝手に判断を下しますが
それは個人が自分の都合で勝手に判断してる事に過ぎず、良くも悪くもないんです
すべてのエネルギーには周波があり、上がれば下がり、下がれば上がるように存在しています

だから、この世を構成する際にかならず高い部分と低い部分が生まれて

一定のものは存在できないんです
もちろん一定に見えるものはありますが、それは人が感知できない程の微小な周波数であるか、感知できない程大きすぎる周波数のどちらかだと言えるでしょう

まぁ、この世の仕組みとかは今はおいといて、
とにかく私たちは絶対的な愛の中に生きています
私たちは時々神様を探します、
公園で子供が母親を探すように、安心を求めて神様の存在を確かめようとします

でも、私たちの体がエネルギー体(周波数)であるのと同時に神様の体もエネルギー体なので目には見えません
ですが、この目に映るもの全て、山も川も構造物も人も動物も植物も

ありとあらゆるものが神様の一部なんです

神様の手の内で遊び、悩み、苦しみ、楽しみ、幸不幸を味わい、生を堪能しています
だから、安心して悩めばいいと思います
安心して迷えばいいと思います
ずっと神様が見ています

不安にだけはならずに、神様とのつながりを感じたまま、自分の信じるままに一生懸命に生きたらいいと思います

って思ってます

糸掛曼荼羅を作ってて思う

現在作成中の糸掛曼荼羅は既に糸を600m以上使用し
もう少しで完成できるかといった段階に来てます

そして思うのです

この世は糸掛曼荼羅に似ている

この写真を見てみると何が何だかわかりません

私たち一人ひとりは目の前の出来事に対して偶然か必然かを考えます
全部偶然だよっていうのは簡単ですが、偶然にしては出来過ぎているという事もあります
けど、すべて必然かと言われるとそれも疑う程に良い事も悪い事も起こります
悪い出来事に対して必然だなんて言ってほしくないって事もあります
正直みんな混乱しています
なんでこんな事が起こるんだろう、なんでこの人と出会ったのだろう、なんで自分はここにいるんだろう

わからない事だらけです

ですが、次の写真を見てみます

全体を見てみると不思議な統一されている模様が見えます
これは偶然できたものでしょうか?
明らかに意図されてできているのがわかります

小さな視点で見れば混沌としているものが
大きな視点で見れば整合性がとれているんです

そして、この糸はたった一本の長い糸をひたすら張り巡らせているだけなんです
途中で切れていないし、別の何かが介入しているわけでもない、別のところへ寄り道しているわけでもなく、ただひたすらあっちへ行ったりこっちへ来たり
古い糸はその存在を微かに残しながら全体の一部に溶け込み、新しい糸はその上を交差するように、時にはなぞるかのように進みますが、全く同じ道はありません
古いものの上にどんどん積み重なり、時には一階層下がってみたり、徐々に上昇して完成を目指します
遠回りしているようにも見えますし、でもその道を通らないと統一されたものが出来ません

もう一度寄ってみましょう

一本の糸は色んな縁と交差しています、すべては一つの目的の為なのですが、
進んでいる時はわかりません、次にどんな縁がくるのか、どこへ向かっているのか
それは最後にようやくわかる事で、きっと生きているうちはわからないんでしょうね

そして長い時間をかけてようやく戻ってきたと思ったら
そこで最初の糸に結び付けられ糸は繰り返し同じ道をたどります
すべての糸はつながっているんですね

一つの人生もこの糸掛曼荼羅と同じ様な感じで、
その人生すらもより大きな糸掛曼荼羅の一部になっているかもしれません

私たちはものすごく果てしない道の途中にいるのかもしれません
でも、わからなくてもいいと思います
わからないながらも一生懸命に生きて
一生懸命に自分という個性を楽しんで、時に悲しんで、苦悩して、死んでいけばいい
だって、それら一つ一つがこの統合された全体像を作っているのだから
何かが欠けちゃいけないんだと思います
そしていつか、それもいつかはわからないけど
いつか気づいたらその全体像の美しさに感動して
解脱していったらいいのかなって思います

オープンまで残り3日ー経営って難しい?

よくお店をしていると、「お店開くのって大変でしょ?」って言われますが、確かに大変なのかもしれませんが、実際はワクワクやどんな風にできるだろうかといった期待の方が大きくて大変なんて思ってないのかもしれません

それに多くの人が助けてくれて、感謝の念がいっぱい湧きます

経営に関しても難しいか聞かれますが、そんな風には思っていません

もしかしたら色んな経営手法の難しいものを想像しているのかもしれませんが、私は経営とは理想の提供だと思ってます

自分が理想とする社会であったり生き方を体現出来るのが経営なんじゃないかなって

何も政治家にならなくても宗教家にならなくても自分の意思表示ってできるわけです

だから、ただ自分のやりたい様にやっているだけですからそんなに難しい事でもありません

もちろん全く何もない状態でやるわけじゃなく、多少は勉強します

マーケティング手法や経営ノウハウなどだってね、例えば泳ぎを知らない人がなんでもいいから泳げとプールに突き落とされたとしたら
バタバタと溺れるか、みっともなく泳ぐ事しかできないでしょう?

でも多少泳ぎ方を勉強すれば前には進むことができるかもしれません

その上手く泳ぐための知識がいっぱいあって、どれをどこまでやるかは自分次第ってわけです

少なくとも多少練習した人は形を変えたとしても溺れはしません
私は他の経営者とは少し違った観点を持っているかもしれません

何しろ自由が好きだし、一回死んだと思ってるし、なんでもいいって思ってます

お金を稼いで地域で使う、それを持って地域貢献といわれれば
あぁ、確かにそうだなって思うし納得もできますけど、私のやりたい事とは少し違う気がします
私は自分がやりたい世界、自分が理想とする世界をみんなにも知ってほしくて

まずはその理想を自分にもできるんだって証明する事を目標としています
自分の生き方を見せる事といってもいいかもしれません
私はきれいごとが大好きです楽に好きな事やって生活したいって思ってます

お金にとらわれずに、幸せに生きるそんな事が出来たらなって思っています
きれいごとなんだけど、きれいごとだって言われないように、実践してそれができる事を証明してみたいんです
だから、私は休みたい時は休むし時間関係なく、仕事したい時に仕事をしてます

家族との時間が大事だから、何か予定があれば最優先で行動します

仕事にしたって、我慢してストレス抱えてやるんじゃなくてやりたい事、楽しいなって思える事で、やってて有意義で、感謝できる事を選んでます
わかりますか?仕事もやりたい事をやっていて、他にやりたい事があれば仕事を休んでそれをする

面白そうな事、興味が湧く事があればそれもやってみるそんな生き方をしてるんです

そして、お陰様でといいますか今のところそれが出来てるんです

きっといっぱい色んな人に迷惑かけてると思いますけど、まずは自分が幸せになる必要があると思っています

自分の幸せを確保できた人が他の人を幸せにできる

幸せって豊かさだと思うのですが、何も物的豊かさの事を言っているわけではないですよ

小さな事に感謝できるか、嫌だと”思う事”を減らして人生を楽しめる事

今既にある事やものに満足できる事そして、幸せを感じれば余裕が生まれ、人を妬む必要もなくなります

威張る事も見栄を張る事も、力を見せつける必要もなくなってきます
そうすると、気づけば周りの人からして居心地の良い人になってくると思いませんか?

幸せが溢れ出て、周囲まで満たしていけるんですね
やりたい事をしてお金になるの?って心配になる人もいるかもしれません

もし本当にやりたいのであれば本気になります本気になったら人は大抵の壁は突破できるし

それが本当に必要なものであればどうにかなるものです

メリハリは大切です、遊んでる感覚に近いですが、頑張るところは頑張らないと残念ながらそこまで甘くもないんです
どうにかなっていないのは、それが本当は自分にとって大した想いがない事なのか本気を出していないのかのどっちかだと思います
これからの時代はみんながみんな経営者でいいと思ってます会社に縛られなくてよくて、仕事に縛られなくてよくて自由に生きて、自由に稼いで、大切なものを大切にできるように
働き方は今と昔とは変わってきています

昔と同じやり方はナンセンスになってきます個人が活躍できる時代が現代です

変化に対応出来なければ取り残されるか、弾き飛ばされるか、辛く感じるか

もちろん同じ理想を掲げる人、尊敬できる人の元で働けるのであればそれはとっても良い事です

強いエネルギー、同質のエネルギーは協調しあい、引っ張ってくれます

成長できて、エネルギーが湧いてきてきっと楽しい事でしょう
問題は仕事がないからと言って妥協する事

特に想いもないのに、とりあえず仕事をしている事

お金をもらえればなんでもいいって思ってしまう事

責任という言葉の重みに負けて自分を抑え込んでしまう事

変化を恐れるのが人間ですので、変える事は怖い事かもしれませんが、いつの時代も憧れられる様な人は変われる人(変人)です
経営は自分がやりたいと思う事をやっているんだから人それぞれの形があってよくて

それを大変だと思っているのであればそれは間違った事をやっているからか

或いは初心を忘れたかのどちらかだと思います
私は幸せだし、これからも幸せでありたい

その為に自分であり続ける事が出来る道を選びます